過去、今、未来に五感で触れ、人は情報を取り入れ続けます。そこに「好き」という思いが重なった時、加速度を増して情報量は多くなっていくものです。作品を生み出してくださった男子生徒さんの情報量の多さには驚かされます。そして、それらの情報から意味を見出した時、それが指針、知恵となり生きる力を生み出すのではないでしょうか。思いの詰まった情報一つ、一つを、意味を掴み取ろうするその過程と情熱を感じ取って頂けることを願っています。

戦国時代とは?

第一章 初めに及びテーマ

戦国時代と安土桃山時代はおもしろい。この時代は、戦がたくさん起こった時代である。この時代について、住んでいる場所が異なっている三人の武将の戦い方や生き様を見ながら、①武将たちは、どのような考え方で戦をしてきたのか、②当時の戦で勝つためには何が関係しているのかについて説明していきたいと思う。

第二章 三人の武将

1 龍造寺隆信

この人は、肥後(佐賀県)出身の国人(地方在住の有力武士)である。肥後の熊と恐れられていた。今山の戦いで、北九州に大きな勢力を持っていた大友宗麟との戦いに勝ち、島原地方を支配していた有馬晴信を下して肥前を統一し、さらに九州全土を統一しようとしたものの、その有馬晴信に裏切られて、沖田畷の戦いで島津軍と有馬軍に負けて亡くなった。

2 長宗我部元親 

この人は、土佐(高知県)出身の国人である。四万十川の戦いで、京の貴族が土佐に下って戦国大名になった一条家の一条兼定を倒して四国平定への一歩を踏み出した。元親は、阿波(徳島県)、伊予(愛媛県)、讃岐(香川県)へと出撃を繰り返し、勢力を伸ばしていった。1585年、元親は、四国統一にほぼ成功した。

3 斎藤道三

この人は、京都の油売りの子供である。主君を暗殺、追放し、自ら美濃(岐阜県)の主となった。美濃のマムシと呼ばれ、下克上の権化にふさわしいとされた。織田信長の父である織田信秀と戦う一方で、織田信長に娘の帰蝶を嫁がせた。その後、息子の斎藤義龍に家督を譲った。道三は、自分の国に海がないので海がある尾張(愛知県)を攻めた。海が手に入れば美濃はさらに栄えるからである。

第三章 三人の武将の家臣

次に、三人の武将の生き様を知るために、当時の武将を支えた家臣たちは、どのような働きをしたのかを見ていく。

1  鍋島直茂

鍋島直茂は、龍造寺隆信の義理の弟で、隆信に意見をよく言い、戦の時には本当の兄弟のように助け合った。隆信が亡くなった後は、豊臣秀吉や徳川家康の家臣となったが、隆信の国を守り続けた。

2  谷忠澄

土佐神社は、長宗我部家にゆかりのある神社であった。谷忠澄は、土佐神社の神主だったころ、長宗我部元親にスカウトされた。豊臣秀吉による四国攻めで、谷忠澄は一宮城に籠城したが負けた。そこで豊臣軍の恐ろしさを知った忠澄は、長宗我部元親に降伏を勧めた。元親は怒って、忠澄に切腹を命じたが忠澄は一歩も引かず降伏を勧め、ついに元親はそれに応じることになった。降伏したおかげで元親は命が助かった。

3  明智光安

明智光安は、妹である小見の方を斎藤道三の正室にして道三の家臣となった。斎藤道三とその息子の斎藤義龍の争いである長良川の戦いで、道三に味方した。道三に味方するものはとても少なかった。

 まとめ

三人に共通する点について説明すると、三人は、主君の国や主君を守り続けたことである。鍋島直茂は、主君の家がなくなっても、主君の国を守り続けた。谷忠澄は、負ける戦で主君を説得し主君を守った。明智光安は、確実に負ける戦でも主君に味方し最後まで主君を守り続けた。

第四章  三人の武将が経験した主な戦い

1 沖田畷の戦い

この戦いは、龍造寺隆信と島津義久の戦いである。隆信は島津が得意とする戦法(釣り野伏)によって、肥前の沖田畷という湿地帯に誘われて沼にはまり、身動きが取れなくなったところを四方八方から狙われて隆信は負けた。

2 四万十川の戦い

この戦いは、長宗我部元親と土佐西部を支配する一条兼定の戦いである。元親は、四万十川を渡り一条軍を攻撃する。一条軍はこれに応戦した。その隙に元親の家来が率いる軍が一条軍の背後に迫り挟み撃ちにした。これによって一条軍は総崩れとなった。

3  長良川の戦い

この戦いは、斎藤道三とその息子の斎藤義龍の戦いである。道三が、息子の孫四郎と喜平治ばかり可愛がっていたため、義龍がそれに怒り、二人の弟を殺害した。それに怒った道三が長良川で兵を挙げて戦った。

まとめ

武将たちは、水、山、谷を利用して戦をしている。つまり、土地を上手く使うことによって勝敗が決まるということが分かる。

第五章 まとめ

1 テーマ①の結論

これまで見てきたように、家臣たちに支えられて、龍造寺隆信は、九州統一を目指した。長宗我部元親は、四国統一を目指した。斎藤道三は、海のある国を目指した。このように、みな自分の国を大きくしようと考えて戦った。

2   テーマ②の結論

これまで見てきたように、龍造寺隆信は、湿地帯を上手く利用されて負けた。長宗我部元親は、川を上手く利用して、挟み撃ちにして勝った。斎藤道三は、川によって守られた敵の本陣を攻めたが負けた。このように、土地や地形を含む環境が関係している。また、道三は、自分の国の土地に海がないので海のある尾張の国を攻めた。このように土地が戦う目的に関係している。

3  全体のまとめ

つまり、戦国時代、安土桃山時代とは、家臣が主君を支えて、誰も逆らえなくなるほど大きい国を作り、平和をもたらすまで戦が続いた時代である。

小学4年 男子生徒